1983.7.24(日)〜7.28(木)

1983.7.24
10時頃起きた。裏の犬がうるへい。成瀬でこのノートと大友克洋買う。よい、なかなかだ。はにわ聞いてテニスやって、この日も2食で暮れて行く。9時頃寝てしまったのであった。

1983.7.25
町田で午前中うだうだやって1時から装備分配。あつくていい感じ。Oさんの人工呼吸やったらもう4時で、飲みに行ってしまった。分析だとかさかなだとか、いつも笑っているとか、いろいろ言われる。なんじゃ。

1983.7.26
最後の家庭教師を無事に終え、買い出しも終え、悠々と帰ってくる。パックもほぼ完了。今度のパーティはイマイチ不安である。

1983.7.27
10時か11時頃町田を出る。暑い。中野はじっとしていても汗がジトジトで困った。下宿代請求用紙を書き配り、足りない装備を取り合わせ、昼はカレーパン2個でポカリスエット。腹は相変わらずおかしい。一昨日のビールのせい。部屋整理少しばかりやり出発。重いザックが下痢と暑さで参っている体に重い。中野で買ったTシャツを隠すため上に白の半袖暑い。1時間前に出たので15分位前に到着。半分くらいきている。Nさんからフィルム5本、2900円。早速撮る。KやMさんUさんKさんIさんOさん見送り。Oさんは8mmをやっとる。谷川岳に備えて、俺らの声を録音しておる。水ばっかり飲む。もう開き直った感じである。腹痛などどうにでもなれ。16:17上野発。Iさんがいつまでも車内にいる。Oさんなんかに手を振る。埼玉の方は雷雲でいっぱいである。大宮でやまびこ31号新幹線に乗り換え不自然な形でトランプ大貧民をやる。ZさんとMがはしゃいでうるさい。ビールを買って飲む。FさんとMさんはずっと話している。弁当はたしかKちゃんのおいなりを食っただけだったと思う。テープはゆーみんとか聖子とか聞いていた。弁当の紐で遊んで楽しかった。盛岡ではつかりに乗り換え、変なガキがたくさんいる。ザックの収集で手こずる。稲妻がすごい。少し遅れる。いろいろべらべら喋っている。Tがいように乗っており、写真を見せたら笑いが止まらなくなっている。バカじゃなかろーか。青森23:05着が10分遅れたと思う。連絡船の乗船名簿を書いて、乗り込む下は空いているで取っても誰もこない。いらいらする。その隣にはみんないたのだ。アホみたいである。Kさんがカメラ持っててくれる。結局上でウォークマン聴いている寝とる。となりにMさんがいたと思う。YとCが奥の方にいた。身柄を北海道に移される人々の長い列、暗さの極である。そんなに揺れなかった。函館ダッシュはやらなかった。Mが走っていおった。

1983.7.28
ほのぼのと夜があける。牛乳とかに弁を買うと即森と食らってしまう。そんなに食欲ないのによ。北斗1号で4時間なんか話して他と思う。千歳空港でのりかえ。分散。Fパーと乗ったが座れない。ウォークマンをずっと聞いている。追分あたりで、少年が乗ってくる。ずっと乗降口のところでMさんといる。石勝線は長い。蕗のお化けのみたいのが沢山ある。なんとか高原で停車の間、降りてNさんなんかの所行く、霧が立ち込め早くも北海道である。肌からそれが伝わって来る。Fパーは沈んでKなんか寝ている。帯広で買い出し。イトーヨーカドーで結局食料買った。そういや長崎屋なんかに食料品はないよな。Zさんと私は灯油を買い出しに行く。晩成の管理人さんお土産を買ったよーかどーの酒コーナーのおねーちゃんにGSの場所を聞いて行ったのだが、とんと要領を得ない。しかたないので、かたっぱしから聴きまくり走り回り線路を渡り、GSに駆け込むが灯油は売ってないという。さらに行くと米屋があり、聞いたが「灯油ですか」と不思議な顔をされる。
さらに行ったGSで、やっと手に入れることができた。広尾線発車時刻まであと15分しかない。ゆっくりゆっくり入れてくださった。Zさんとひたすら走り、なんとか間に合った。13:21発車。みんな改札に並び、MとMは席取りダッシュをするらしい。ここでJさんの唇をなくしてしまったらしい。メロンパン車内で食らう。粗末な昼飯。地元の高校生が都会コンプレックス丸出しでいる。こっちもそう余裕があるわけではないので恥ずかしかった。ボックスにはM、Z、M、N、となりにG、M、私たちは眠りに落ちる。幸福、愛国、知っている。大樹14:39。降りて待合室に来た途端「キャンプの方ですか」と言われる。けっこー若いおっちゃん。あまりいなかいなかしたところがない。霧雨少し降る。バンを待っている間ひとまず写真を撮る。車の方にMさんと俺が乗る。太平洋は鉛色であった。霧がすごいが花もすごい。アヤメハマナスいろいろ咲いている国道が舗装されていない。とにかくなんにもない道と草原と山だけが続く。一面近郊住宅地と同じイメージで捉えられる。キャンプ場は海に面しており、立てるところはレンガで囲ってあり整地されている。出来立ての造成地。風強く版画廊ないので結局パスする。ホトカヤントーからオイカマナントーへ。個人でやるキャンプ場に行ってみる。テントが中で張れるテントがあるという。しかし行ってみると先客があり、空いている方が下が木でペグが打てない。Mさんと相談してバンガローに行く。4000円である。結構きれいで水場は蛍光灯の伝統がつき完全に室内である。トイレも元栓を捻れば水洗である。バンガロー自体も変わっていて、床の上に白いビニールのテントのようなものが乗っかっておる。柱はあるので、そのバンガローのテントの中にテントを張ることにした。Mが乗ってやってくれたおかげで上手くいく。よかった。ひそかにリーダーに頼りにされているのがよく分かる。奇抜なのとをやるのは、気を紛らわせてとてもよろしい。食等している時、Mさんは散歩に行って温泉浴場のおにーさんに酒をもらってきた。菊正宗とMははしゃぐ。Nとハンバーグをうまく焼く。楽しい。食事のあといろいろ話して酒を飲み、Mはホーロー2杯をがぶ飲みして、気象通報を聞きながら寝てしまう。だれかが「いびきすごいってよ」と言ったら、本当にすごいいびきをかきだした。このままじゃやべーので起こして歯磨いて寝てしまう。他に一二パー、バンガロー使っていた。花火うるせい。Mは大人気ないと批評しておった。