事件をネタに文を書くこと

インターネットが発達して、事件や事故の直接の当事者でもない人が、文章を書く事が多くなった。また以前に比べて、文章を書く人が確実に多くなっているように感じる。僕がガキの頃は、作文が苦手な人が多数派で、例えば壁新聞とか、文集とか、同人誌なんかを喜んで制作する人は、どちらかというと変わった人種として認識されていたように思う。

しかし現在は一つ事が起こると、その人がいままで見向きもしなかった事柄に対して、もっともらしい事を言うようになる。そして肝腎の直接の当事者の声は聴こえてこない。ネットなどで、事件に対する議論を拝見すると、やはり琴線に触れてくる言葉は少なく、浅いのである。

これはなぜかというと、結局自分の自己愛を満たすための行為であるからだ。自分の言葉が不特定多数の人に読まれる可能性があるというモチベーションである。いくら正当な事を述べていても、それは内容そのものより、そう考えている自分を不特定多数の人に誇示したいからに過ぎない。実体験から来る身をもって発露した言葉であれば、琴線に触れるし自分の考えや行動がそこから変容する事もあり得ると思うのだが。

だから、ごく一部の人物の言葉に例外があるものの、ほとんどの人の言葉は響いてこず、書き手の自己愛の押しつけなので、かえって疲れてしまう。仕舞いには「安穏としたところでつべこべ言ってないで、何か実際やったらどうなんだ!」と言いたくなる。

かく言う私も、こんな事書いて自分の自己愛を満たしているのだが。