精神神経学会3日目

コンベンションセンターでは、あまり興味のあるお題がなかったため、道新ホールに行き公開講座を聴いてくる。
「大人のアスペルガー症候群を正しく理解して支援につなげる」というセクション。まず加藤先生の「間違いだらけの発達障害診断」

児童精神科領域のクライアントを見立てるとき、次の三つの見地から評価する。
1. 精神医学的診断
2. 社会福祉的評価(見立て)
3. 教育分野での判断
このうち精神医学的診断がもっとも重要視されるのが今の社会のしきたりである。
しかし、発達障害に限って言えば、この診断が他の疾患障害概念に比べてはなはだ曖昧である。まず過去の情報の信憑性がどのくらいあるのだろう。本人、家族に当時を思い出していただいて、主観的客観的にチェックリストをうめていただくのだが、これらは相当のバイアスがかかる。小学校の通知表の記載にしたって、担任の先生の個性や教育方針の影響が如実に現れるだろうし。また現在の状態に関しても、見る人によって随分違う評価が出てくるだろうし、本人を取り巻く状況によってその特性が目立つときと、それほどでもないときがあるだろう。
それよりも、その人が社会で楽しく暮らして行くために何が必要なのか知るために、現在の特性を拾い上げて行く、いわゆる社会福祉的、教育分野の見地からの評価のほうが大事だったりする。
どうも今回の話は、医学的診断に重きを置きすぎるきらいがあるように思った。立場上当たり前の事かもしれないが。
確かに、ぼくのところでも自称アスペルガーのパーソナリティ障害の人や、周囲の策略に動かされている人が来院することもある。しかし、その人に発達障害の特性を見いだせれば、診断閾値下であっったとしてもそれなりに特性を伝えるし、その人が発達障害の診断を持っていた方が暮らしやすくなるようであれば、あえて診断書を作成したりする(もちろんこの逆もあり得る〜確定診断可能であるがここで診断してしまうと本人が不利になる場合)。ただこれは医学的な診断の要素は少なく、社会福祉的な診断アプローチになる。
実際、大人の発達障害を疑って来院する人の中で、典型的なアスペルガー高機能自閉症は少ない。
あと、精神医学的診断は、見立てる切り口が違えば違う結果が出てくる、という事もある。今の所謂操作的診断基準は、いろんな切り口の見立てを一緒くたにしているので分かりにくくなる面もあると思う。

後半は、当事者のかたのお話。これは参考になった。
1. デイケアにおいて、スタッフが本人の社会復帰をせかさない事がポイントだという事が分かった。やはり年単位で関わって行く必要性がありそうだ。明日うちのスタッフに伝えるとしよう。
2. 定型発達の世界に合わせるのではなく、自分の能力の向上させるという意味付けをする。日々の生活で自分を高めるということは、定型のひとも同じである。この考え方の方が自然。
3. そして、ひとが変化向上して落ち着いてくるのは、薬ではなくデイケアでのスタッフメンバーとのかかわり、社会生活での様々な人とのかかわりによるところが大きいということ。薬は無力である。斉藤環先生がいうとことの『人薬」なのだろう。
僕のクリニックで、デイケア始めたのは正解だと思った。