1976.8.26-9.1

1976.8.26

塾へ行く。Oくんはやっぱり神様ではなかった。あははは。テニス教室最後の日。張り切っていた。7時50分こと便器に座っていたら、外が騒がしい。もう来たらしい。あわてて●してでかけた。藤の台駅でバスからおりて商店街を通ってコートに行くとやややのや。しかし矢部と淵野辺の駅との間は近いね。

なんとMがいた。なんで初日から来なかったのかと聞いたら、今日が初日だと思った。畜生と騒いでいた。あいつもああいうところがある。だからこそ普通の少年だ。

 

1976.8.27

もう夏も終わりだ。ちょっと行動面は冴えなかったが、頭と心はもうすごく動き回った。

駄人から見るともったいない夏休みの過ごし方だなあ。と思っただろう。僕も前半はそのことで悔やみ焦った、しかし俺は俺は見つけた。人生は行動だけではない。やることだけではない。この考え方はこれから先、俺を危機から救ってくれるだろう。そしてよりすばらいい暮らしができるだろう。帰って去年の夏休みより得るものがあった。人生には行動と沈黙があることがわかった。

 

1976.8.28

一日勉強をやっていた。今日おじいちゃんたちが帰ってくる日だったが伸ばされた。寒い。根本順吉先生の言ったことは本当みたいだ。勉強やる気があったのだが、能率が悪い。

9時からアメリカントップ40聞く。来週土曜日は聴けないのでバッチリ聞いて録っといた。

Elton John & Kiki Deeまた一位。気分悪い。Bee Geesは何をやっとる。2時からポップスベストテンを聞く。やっぱりQueenが一位。BCRはどんどんおっこって行く。新曲もトップ20には出ていない。塾行く。一回休んだだけ。

 

1976.8.29

おとうさまがいないのでつまらしい。一人でテニスやる。サーブがだいぶよくなる。横からうつたまはみんあ浮いて向こうへいってしまうということがわかった。

おじいちゃんたち8時ころ病院のおじちゃんの車に乗ってきた。早すぎる。ぼくは半分寝ていた。起こされて下に行って、おじちゃんに、昨日2階でこっそり「欽どん」を見ていたt機に刺さった棘を録ってもらった。でもまだ痛い。しかしテレビの「欽どん」は下品だ。なにかというとみんなげらげら笑う。つまらしい。ドリフターズの方が良い。今日も一日疲れた。Hall &Oates の曲が良い。

 

1976.8.30

9時ころTちゃんに電話をかけてTちゃんちに例のものを取りに行く。1本だとおもったら3本も貸してくれた。早速聞いてみた。すごい。とってもよい。そんなことを思っていたら鼻血がでてきてしまった。2本ばかり聴いてしたに降りてみると「おとうさんが耳栓していたら耳がへんになっちゃった」とかなんとか言って騒いでいた。気分が壊れたのでボリュームを最大にしてかけた。スピーカーがぶっこわれそうなので、すぐやめた。塾調子良い。

 

1976.8.31

一日宿題をやる。今日は明日のためにあったようだ。明日のことばかり考えている。宿題をやりながらMくんをからかう手口を考えたり、手ベースをやることを考えたり、Tちゃんとディープ・パープルやレッド・ツェッペリンやクイーンやイアン・ギラン・バンドやリッチー・ブラックモアズ・レインボーのことを話したり、Sちゃんとアメリカントップ40のことでウィングスのLet E'm In6位に下がっただの、その他いろいろ。あー。今日でない明日の反対の一日だった。あー神様。なぜ塾のおばさんは僕だけににこにこするのだろう。世界の七不思議

 

1976.9.1

いよいよ学校が始まる。思ったより白けていた。校長の話が長すぎる。生徒たちはあの話の何十分の1しか頭に入っていないだろう。いや全部忘れているだろう。俺がそうだ。まったくいらいらする。町田行く。テープ安い。嬉しい。本を買う。久美堂しか開いていなくすごい込だった。マツヤマでお母様と会う。なんだか子供だましのおもちゃのようなものが一杯乗っけてあった。つまらしい。父の自転車ない。剣道。型だけやって終わってしまった。あと何もやらず座って見ていた。終わって騒いだ。危ないところだった。