1976.1.15-1.21

1976.1.15

今日I君とSのばかと秋葉原にカタログをかっぱらいに行った。田園都市線の中では随分話がはずんだが、京浜東北線では窓の外に気を取られ、黙ったままだった。面黒かった。studio 1780の最低値は29800円だった。studio1980の最低値は34000円だった。全部の店は見れなかったがおもろかった。また何度も行きたいと思う。もう買ってしまってはこの楽しみもなくなる。

 

1976.1.16

学校へ着くとEさんがまだ来ていなかった。そして何かしらやっているとEさんがやってきた。放課後また、K君とSのばかとEとで相撲をやった。教室は滑るので廊下でやった。そしてずでん、どしんと倒れ倒した。いつもは固い床が、柔らかい感じがした。「ずでん」僕はEさんに投げられ這いつくばった。目の前には、大きな傷があった。そしてこの傷は何年前に誰が付けたのかと思った。

 

1976.1.17

この頃僕の生活が安定してきた。安定してきたというより平凡になったと思う。毎日毎日同じことの繰り返し。つまらない。

しかし、こういうことは、自分で解決しなくてはならない。毎日の生活に変化をつけなければならない。

例えば図書館へ行くとか一人旅に出るとか色々ある。ぼやーっとしているのは、人生を屑籠にポイポイ捨てているのと同じだ。

 

1976.1.18

ぼやーっと八朔を食っていた。皮をむき薄い袋を向くのが実にめんどくさい。なんでこんな蜘蛛の巣の糸を寄せ集めたような、ぐちゃぐちゃしたものがあるのだろう。そのまま食べたら袋のにがさで中身の味がわからない。

ただむいているとイライラしてくる。これを剥けば美味しい実が出てくるのに。しかし剥いてある実はあまり美味しくない。缶詰なんか実に不味い。それは自分が苦労せず食えるからだ。やっぱり精一杯働いた後の飯がうまい。

 

1976.1.19

ジリりりり。うるさい音が僕の部屋中鳴り響いた。バサッと起きてみるとちょうど6時だった。そしてさっさと着替えて下へ降りていった。父はまだ寝ていた。

それから10分後、僕たちは一つ目の交差点にいた。顔手足が冷たい。腕時計も凍りついたように冷たくなり、腕を冷やす。父は「あー苦しー、ほー苦しー」と言っていた。モモが冷たくて感じない。今日は15km走った。足が気持ち良い。

 

1976.1.20

今日でマラソンは2日目なのに1週間くらい経った感じだった。明日もやるのかと思っても一向に苦にならない。今日通った道は昨日とは違う感じだった。

学校へ行くと寒かった。すごく埃っぽいところへ投げ出す。友はまだ来ていない。暗い。

父は給料をもらってこなかった。つまらしいと思った。今日は無効で書いたので間違っているかもしれない。

 

1976.1.21

今日は南中に飽きてしまった。全くどどっちらけで理2の時なんか笑わされているのか勉強をしているのかわからない。あのUとかいう講師はなんなんだあのざまは。