1976.1.22-1.28

1976.1.22

全くこの頃のテニス部はだれている。まず着替え。着替えて校庭の端っこの日陰で寒いところへ行く。まだみんな来ていないので準備運動をする。みんなノロノロとくる。そしてネットを貼るのに30分かかる。そしてやっと張り終わりやる。ただ打つだけだ。1コートに5人も6人も入ってできると思っているのかね。全くだれていて少々腹が立った。

 

1976.1.23

炬燵の中でみかんを食べてゴロンとしていたら、母が何かの弾みで父の学生じだいの話をしてくれた。それによると父は、父のお父さんは息子に大学などの勉強するお金を出さなかったらしい。だから父は昼間働き夜になって定時制の学校に行っていたそうだ。

それに対して、伯父ちゃんは、大学を出てからも親の脛をかじって勉強していたらしい。この話を聞いて、いくら下品で行儀の悪い父でも、伯父よりはるかに尊敬できると思った。

 

1976.1.24

今日マラソン大会だった。僕は何も考えずこどもの国に行った。みんなジャージ姿で着ていた

僕は今日こそSを抜かそうと目標を立てた。

いよいよ一年男子の出発の番だ。僕の頭は空っぽだった。僕とKとSはほぼ同じくらいに走っていた。胸も腹も頭もどこも痛くなく苦しくもなかった。僕は楽に走った。下の方にみんながごちゃごちゃ集まっている。ラストだと思って急な坂道を下った。Sは前にいる。苦しくない痛くな。それなのに抜かせなかった。なんだか奴が不気味でならなかった。

 

1976.1.25

朝6時に起き、マラソン大会が終わったというのに、マラソンをした。そして帰ってきて朝食をとり、ついに足が秋葉原に向かって歩き始めた。ドキドキした。

秋葉原秋葉原〜」

耳に響く。ついについてしまった。しかし足は重かった。ついに買うのかと思うと今までの苦がばかばかしくてならない。1780は古いので1760を買った。295だった。あまり母がしらけ刺すので、気分がよいくなかった。

 

1976.1.26

放課後、H、K、Sと俺の家でスタジオ1760をいじくりまわした。やっぱり色々応用して幅広く使いたい。応用があるかないかで、カセットの有効な使い方無駄な使い方が出てくると思った。

夜は塾だった。この頃数学がすごく面白い。これなら何年もやっていけると思った。そして久方ぶりに自転車で行ったのでおもろい。

 

1976.1.27

今日も一日忙しかった。忙しいということは、僕はすごくいいことだと思う。僕は忙しい時に生きがいを感じる。そして今日はみんなからスタジオ1760のお褒めの言葉を頂戴してとても嬉しかった。さあ、明日もテニスだ。考えるより行動行動。とにかく動け。

 

1976.1.28

「礼」「さようなら」ガタガタガタ。帰りの礼が終わり机を下げ、清掃をしに散らばった。

僕たちは木造校舎の昇降口だ。

「Kちゃんまた閉じ込めようぜ」「よし」「Kちゃんちょっと来て」

ドタンバタン。

「開けろよ、開けろよ」

便所から喚いている。しばらくして「開けてやろうよ」

Kちゃんははんべそだ

ガラガラ「逃げろ」ドタバタ。しばらく鬼ごっこをしているとSに会い、

「Kちゃんカバンとっちゃたぜ」と言った。

Kちゃんは本気で怒っているのだ。僕は単なる遊びでやっていたのに。