1985.2.17(日)〜1985.2.19(火)

1985.2.17
帯広から池田へ。ワインの噴水はカバーをかぶって、知らない人には何がなんだかわからないだろう。ワイン城、雪合戦発祥の地。芝生で戯れる。俺は常に標的。ワインを団体ツアーの人に混じって買い飲む。なかなか景色の良いところ。見とれる。ステーキな釣りのステーキを頼みそれが昼食。ワインとブランデーの合いの子が出る。農家のいらない牛の下級ステーキなのであまり美味しくなく硬い。その後池田から釧路へ。釧路で少々買い出し。雪がぐちょぐちょとけとる。バスで鶴見台へ。バスをおりふと道路の反対側を見るとあっけなく鶴の群れ。くだらん丹頂の家。浮いてしまう。なぜあーも演じなければならんのか。ほっといてくれと言いたい。カレーまずい。何が家で撮ったジャガイモだ。風呂は温泉まで行く。これはなかなか熱くて良いお湯。送迎バスの中でテープのお話を聞かされる。夜はバビューンババ抜き、たこ八ゲームをする。すぐ私は暗い印象で、それがみんなの確固としたものになる。ほっとしたりする。俺ら5人は浮いている。「よくくっついていて飽きないなあ」「閉鎖的だ」とか言われる。人には人の旅の方法があるやろう。それを自分の裁量と思ったことを、自信ありげに他人に矯正しようとする。なんで自分が旅するかわかっちゃったら、とっくに旅行することなどやめている。カンパとかやって、おっさんの鶴の話聞く。酒飲みながら自己消化などもやってしまう。相部屋で小さくなって寝る。疲れた。胃が痛い。

1985.2.18
5時半に起きて鶴を見に行く。零下18℃で寒い。というか寝ぼけていてよくわからん。日本工芸大の徳島のお兄さんと一緒に行く。朝日が金色に雪を染め、それが美しいこと限りなし。橋の上で皆カメラを携え鶴を取っている。肉眼では小さくしか見えん。お兄さんとYと俺で帰ってくる。途中2匹の北ぎつねに会う。コンと鳴いた。ほとんど豚箱の飯を食い、鶴が飛ぶコースへ行き見る。ここでも日野会のおじさんなどに顰蹙を買い浮いて小さくなっている。そうそうに切り上げいったん宿に帰り、鶴イシガイモアで歩いて行くことにする。7kmの道のりをひたすら歩く。北風が冷たい。死骸唯一のサテンに入り、いただきますというのを見て、鶴センターに行くが閉まっているので、またそのサテンに入りバスの時間まで過ごす。バスに乗り少年院に帰ってくる。つるかんブルースとかね。これでリッチというのはどういうこと?の夕飯を食う。今日はたくさん新入りがいて、たこ八やっても浮かなくて済む。やたらミーハーっぽいお姉ちゃんもいて楽しい。お話タイム、昨日と同じジョークを言い、同じ話をする。これで自然保護という運動団体の胡散臭さは決定的になった。自然があんたにとって都合の良い財産だってこと。あんたがいい気分いなりたいから自然を守れとわめく。自然との接し方はこうであるべきだということを押し付け干渉してくる。この自然形態に感動すべきなんだ、しなければならない、通からの押し付け。鶴居村は暗い。都会に派生した廃棄物の捨て場。

1985.2.19
今日も行ったが曇っていたので、橋まで行って引き返す。ましを食いC、Kちゃん、私は弟子屈へ。死骸からはバスに3人のみ。うんちゃんのテクニックを3人で見学。弟子屈駅に行きスタンプ押してうだうだやっている。観光バスに初めて乗る。まずは摩周湖。あっさり雪に埋もれた湖が見えてしまう。雪が結晶ごと降ってくる。1日くらいはゆっくりしたいところ。硫黄山、硫黄の匂いが心地よい。砂湯、白鳥がたくさんいて気持ち悪い。屈斜路湖は広い。結構水面が出ている。和琴たいしたことない。ゴジュウカラがいた。スノトレにあなが空いて悲惨な状態。美幌峠、雪でトイレが埋まっている。見晴らしが良い。今日はあれこれ考えるのはよした。それでよかった。美幌駅で靴下を履き替え、汽車に乗り車掌室を占領して足を温める。少し風邪気味。網走で1時間長靴を求めるが、なんとなく無駄遣いだなあと思いやめる。ただ歩いただけ。藻琴駅にはYとCが迎えに来ていた。ガバチョといっしょだったという。宿は遠そうで近い。改築したての内装。まだ新築の匂いのする宿。旭川医大の人と一緒。カーテンが落ちなぜかYが怒る。夜はジンギスカンうまい。酒も飲みすぎる。民宿業をやることになってから初のお客らしい。社長の友人たちがみんなで祝いに来て、とても盛り上がり良い雰囲気。社長が本当の素人で商売慣れしとらんのが良いのかもしれん。ネタの覚えとらん、ホタテが出た。味はわからん。