強迫的にヴァージョンアップする世界

自宅の倉庫には、ウインドウズ歴代のOS搭載のPCが山積みになっている。OSが古くなり使えなくなったのだが、残っているデータ消去が面倒で、そのままになっているのだ。
僕が生まれてからしばらくは、モノは大事に長持ちさせて使いなさいと教えられていたが、途中からそのようなことは言われなくなった。たとえ言われても、それと解離している現実を鑑みると、ほとんど説得力に欠けていた。でも、そのような現状は明らかに違うよなあ、と何となく思いながら生活していた。

今、レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」を読んでいるのだが、上記に関連することに言及している所がある。アメリカなどの「新世界」は、ヨーロッパと違って常に新しさを求められ、そのままだと「転落を意味する」という。まさしくアメリカナイズされた今の日本にあてはまることである。とにかくヴァージョンアップしなければ落ち着かない世界。僕はこのような世界にいること自体が落ち着かない。

僕らの業界では、近々流通するであろうDSM-5の話題で持ち切りである。しかし、精神疾患の診断基準ってそんなにヴァージョンアップ必要なのだろうか?人間のメンタルの状況なんてそんなに急激に変化するわけでもあるまいに。そもそも人間の神聖な領域である「精神的なもの」に「新世界」のやり方を当てはめること自体、間違っているような気がする。