「脱原発」の考えだった頃

今回の大震災で福島の原発が暴走して大問題となっている。

そんな危機的状況を見聞きして、ちょうどバブルのころに自分が反原発脱原発の考えに夢中だったことを思い出した。
自分はその頃九州の佐賀県医学生をやっていた。佐賀の北には玄海原発があった。旧式のポンコツ原発で、それを問題視する市民運動に参加していたのだ。高木仁三郎広瀬隆たちの著書を読み漁り、小出なにがしの講演などを熱心に聴きに行ったりしていた。

ある日、脱原発の活動家の家をお邪魔して、どうしたら原発を必要としない世の中を作れるか、みたいな話を皆でしていた。かなり夜遅くまで白熱した議論が展開された。
その人のおうちには、小さいお子さんがいたのだが、我々の白熱した雰囲気にのまれたのか、夜も遅いというのに目をきらきらさせて興奮してはしゃいでいた。自分はその子たちのありさまを見て、気の毒になり「そろそろお暇」を切り出した。しかしその人は「まあいいじゃないか、子供たちの未来のために、もっと話し合おう」と言うではないか。いや、この子達の遠い未来より、今晩早く寝て明日に差障らないよにする方が大事なのでは?とお伝えしたが、冗談にしか受け止めてもらえなかった。だいたい夜遅くまで煌々電気つけてるけど、それって玄海のぼろ御釜で作られたものでは?とも思い、なんだか釈然としない気持ちで、その活動家の家を後にした。
それ以来、自分の脱原発熱は冷めてしまった。所詮脱原発運動なんか、お釈迦様の手の上で踊っている行動に過ぎないのでは、と思ったのだった。また、なんとなくそれらの運動に使われる言葉に、運動している人のエゴを感じてしまっていた。エゴをきれいな言葉で包んだ感じが鼻についた。

原子力を作ったのは人間、でもその人間は自然の流れ(神なるものと言ってもいいのか)からできたもの(らしい)、今回のようなことになったのも自然の流れなのだろう。
今後、日本人の寿命は確実に短くなるだろうし、がん患者も激増するだろう。これも自然の流れで逆らうことはできないのだろう。いや人間は自然の一部か。


このような事を直感的にわかっている人たちって、世代からいえば自分らから下のような気がしている。今回の事故で、自分より若い世代が妙に冷静なのは、このどうしようもない流れを、体で感じているのかもしれない。

まあ、じたばたしても始まらない。受け入れていくしかないだろう。子供たちのために疎開も考えてはみたが、彼女たちが疎開先でつらい目にあってしまうのは目に見えている。現状では、デメリットのほうが大きい。それこそエゴだよな。