病棟の想い出(5)

10年前後前、慢性期病棟に長期入院している人と、ポールマッカートニーのライブに出かけた事があった。
その人はビートルズ好きで、古びた病室の畳の上にあぐらをかき、ラジカセでビートルズのテープを聴いていた。僕が担当になって2年目くらいのある日の問診で、ポールマッカートニー来日の話題になった。「前回来たときは、当時の主治医は一人で行かせてくれた」という。しかし彼は医療保護入院であり、その当時はまだおおらかだったからそのような事が許されたのかもしれないが、私が担当時にはそれはすでに難しかった。しかし慢性期病棟で退院の当ても無いまま、漫然と時間を過ごし、ときどきその鬱憤が爆発して保護室に入っていたMRの彼の願いも聴いてあげたかった。そこで私は、病棟看護長と院長に相談、担当医同伴で晴れて東京ドームに行く事となった。
彼にとっては、久しぶりの遠出であった。そのためか、途中で「喉が渇いた」「気分が悪い」「トイレ」と何回も途中下車しながら、東京ドームにたどり着いた。
アリーナ席で鑑賞し、僕はとても感激し楽しんだ。しかし彼は、最初は興奮し椅子の上に乗ったりなどして、警備の人に注意されたりしたものの、後半は徐々にトーンダウンしてアンコール前には椅子に座り体を丸くしてしまい、アンコール時にはトイレに行ってしまった。しっかり彼が戻ってくるかどうか気が気ではなかった。しかし結局最後には戻ってきて、病院への帰途についたのだった。
今考えてみると、随分無謀な事をしたものだ。病棟の他の患者さんの気持ちはどうだったのだろう、もし何か事故が起こっていたら、などといろいろ考えてしまう。当時その病院で一緒に働いていた同僚と、ときどき当時の想い出話をするが、「先生の人徳があって、実現した事だ」とほめてくれるが、やはり許可してくれた、院長、病棟看護師長の決断に感謝である。