精神科医のidentity crisisについて。

精神科医になってずっと思っている事として、はたして自分の仕事内容は、他の職種のひとや家族、あるいは患者さん本人でも出来るのではないか、というのがある。
精神科医しかできない事は、診断書を書く事と、薬を処方する事しかない。裏を返せば、その他の事は他の人が出来うる事である。心理療法は臨床心理師に任せれば良いし、ケースワークは精神保健福祉師にゆだねる。リハビリは作業療法師や言語療法師にお願いすれば良い。福祉的な事は行政機関の専門家に。そのうち薬の処方なんかも、コメディカルの仕事になるときが来るかもしれない。だいたい薬の創造的な作業のように思われるが、生薬を用いる漢方ならまだしも、向精神薬の場合は要は製薬会社の情報を取り入れて、そのまま処方箋を作成するようなパターンに陥りがちである。
特に患者さんが子どもの場合、へたするとお母さんの方が関わり方のノウハウなどの知識は豊富な場合が多いし、自閉症の対応の知識などは、専門施設の職員にかないっこない。外来や嘱託の仕事での相談などでは、書物や他の患者さんから得られた知識を横流しするだけである。
結局、どこの職場に行っても、診断書作成や処方箋作成に関して、患者さんや関係者の皆さんに自分の医者という肩書きを使っていただいているようなものだ。

最近神田橋條治先生の「発達障害は治りますか」が出たので、読みついでに一連の著書を再読してみた。
「精神科診断面接のコツ」で、 精神科医のidentity crisisについて言及されていた。ぼくはこれを読んで、すぐさま上記のような事を連想した。しかし神田橋先生は、その回答として、「精神科養生のコツ」や「発達障害は治りますか」のエッセンスである養生を提示したのだと思う。
 精神科疾患は、一部の急性期をのぞいて、ほとんどが慢性病である。慢性病には、治療より養生である。とくに児童期は、所謂身体の疾病モデルでの治療方法では、ほとんどうまく行かない。いかに良い方向に変化成長させて行くかである。いわば育みであり、これは養生に近い概念であると思う。
 てなわけで、私の児童精神科としてのidentitiy crisis脱出のために、養生の概念がその一助になりそうである。整体を習って手を施したりしてみたいものだ。しかし、最終的に養生するのは患者さんであり、それを見守るのはご家族であり、結局医者というよりは、概ねアドバイザーみたいなものにとどまるのだが。