1976.3.11-3.17

1976.3.11

町田に今日は炒った。Eさんを誘った。あまり何度も付き合ってくれるので悪い感じがした。しあkし今日はワイワレスマイクを直しにいくというので助かった。なんとなく二人なので締まらない。

 

1976.3.12

今日は卒業生を追い出す会だ。あの劇で白豚めがよくあそこまでくっついていったと思った。コンサートのとき、みなうるさい田舎者ばっかしだと思った。やっぱしN中はだめだおしまいだ恥ずかしい。

コンサートを聴いているうちに小便がしたくなった。懸命に我慢した。Sにトイレ行っていい?と言ってもだめと言う。残酷なやつだ。あすこまで粘れたのも、自己と他人の根性とやさしさだと思った。

 

1976.3.13

キャッチャーに挨拶したらSが横目で見ていた。3時ころ電話をもう1回かけてみたら「すぐ来てください」と言うので、M獣医科にはるばる大和市つきみ野まで行った。中和田幼稚園の横の道をずっとあがって行った。自転車で。16号線は車がぶんぶん走っているので裏道を通っていったらわかんなくなった、しかしやっとたどり着いた。山の別荘のような小さな家だった。帰りトラックに恐怖感を抱く。となりのヒトのことで視界を通してショックを受けた。

 

1976.3.14

今日はいよいよ進級審査だ。眠くて眠くてしようがない。でも進級審査のことをかんがえるたんびに目が覚める。Iが俺に随分気を使っていた。そして随分話しかけてきた。やる直前にどたまが委託なってきたが自分では気が付かなかった。終わってみると2級だった。こんなはずではない。でも周りのヒトはみんな2級だった。

 

1976.3.15

朝のうちは雨が降っていたい。チロのそばに今日はいていく靴があった。取ろうとしたらガウガウ。全くこの頃のチロは贅沢だ。甘やかしすぎたらしい。一斉委員会があったのでIくんに付き合ってもらって出た。SがやすみだったのでSがのバカみたいな先生が来た。5時まで残っていたのでやっぱりおもろい。Kくんは連休4日がつぶれたいので発狂していた。678組学級閉鎖。

 

1976.3.16

さて残り少ない1年生の日々をどうやって過ごすか。ぼくはそればっかし考えている。こんなときは一番愉快なときだと思う。今日は学校の帰りにIくんとSのバカを僕の家に上がらせた。新作のSジョッキーを聴いた、とても面白かった。これからはこれまでと違った価値のある日々を送りたい。僕の胸はそのことでいっぱいだ。母は今日友達と一緒に病院に行った。帰ってきたら具合悪くなってプンプン。

 

1976.3.17

なんとなく憂鬱だ。国語の先生は変なこと言うし、チロはどうも反抗的だし、雨だし。そんなときKさんからもらったインスタント焼きそばを食ったのだ。ちっともうまくない。空腹なとき食うとうまいのだろう。今はちっともうまくない。母から美味いかときかれたので、わざとうまいと言った。うまいと言うとみんな「そんなら私も食べましょう」と言うことになる。このまずさは独り占めしたくないまずさだ。